院長 風間吉也の著書
桜の大道東公園
看護学生の解剖学のまとめの本の紹介
この本は著者が1971(昭和46)から1996(平成8)まで25年間湘南看護専門学校で看護学生に解剖学の講義を行ったが、20年目のまとめとして1991(平成3)に刊行したものです。解剖学は医学の基礎
ですが、この学問の内容は膨大です。肉眼から顕微鏡、更に電子顕微鏡の出現により、内容は更に増大しました。学校ではこの膨大な内容を限られた時間で講義するので極めて要点のみと成っています。そこで敢えて詳しい記述を避け、出来るだけ記述と図を一緒にしたような図表的な表現とし、全体の関係を知るように講義をしてきました。従って詳しい記述を要するところも極めて簡略化されているので、この点は読者が更に補って理解されることを望みます。
平成10年12月 著者
中世史と風間氏
風間(かざま)氏は長野市風間に在る風間神社から興った諏訪氏の庶流です(姓氏家系大辞典)。 風間氏の歴史は古く、平安末に興り鎌倉時代、室町時代(戦国時代)に諸国に分散をしました。記録上では越後(新潟県)の風間信濃守信昭が有名です(太平記)。この本は私の先祖、風間新五兵衛の系図調査の際、風間氏全体の調査をも行いましたが、 その調査資料の集積です。諸国の風間氏は一元と考える事が出来ます。 この本に載っている風間新五兵衛は私の先祖です。新五兵衛は越後沢海藩(新潟市の近く の中蒲原郡横越村沢海)の家臣でしたが、主家の没収の為浪人となり、同国村上(村上市) に移住をしました。新五兵衛の孫の彦次郎とその弟の十助の時代に、弟の十助は村上に残って家業を継ぎ、兄の彦次郎は酒田(山形県酒田市)に移住して商業を始めました。私は酒田に移住した彦次郎の子孫です。
自家の歴史は現在次の三冊が有ります
1) 風間系図と酒田、東美系風間氏、2)続風間系図と酒田、東美系風間氏
3) 越後村上風間家(宮川屋)金屋風間家先祖書、及び先祖由緒について
1と2は先祖由緒に基づく始祖、風間新五兵衛から現在迄の我家の系図と歴史です。
2) では代代医家であった我が家の方方の事蹟を述べたものです。
3) は村上に移住した新五兵衛の子の彦一は宮川屋を屋号として商売を始めました。
その子の彦次郎は商売を継いだのですが、後年宮川屋を弟十助に譲り、自分は酒田に移り金屋を屋号として商業(薬種商)を始めました。この宮川屋と金屋の関係を新しい資料に依り明らかにしたものです。